NMB・須藤凛々花さんの結婚宣言を受けて、アイドルとファンの関係を語る。
どうも、独立を目指すオッサンブロガーのるみなすです。
久々の更新です。
近況を報告しますと、数日前ついにAmazonプライムに加入し、その割にはプライム見放題ではない映画『刑事物語』シリーズをかなり久々に鑑賞してうるうるしてたら神経が昂ぶって眠れなくなって、夜中にブログを書いています。
そんな中、この1ヶ月の間にいろいろありまして、「独立を目指す」から「独立に向かって動いている」にステータスが変化しました。まあ、そのことについてはまた別の機会にお話します。
さて、ここ数日芸能ニュースやTwitterのTLが騒がしかったのですが、アイドルグループ・NMB48のメンバーである須藤凛々花さんが、AKB総選挙の場で結婚を宣言したそうですね。
るみなすは正直なところ、この騒動で初めて須藤さんのお名前を知ったので別に何もダメージもないどころか、まったく興味もないのですが、今日TwitterのTLにこんなエントリが流れてきて少し違和感があったので、自分の見解を書かせていただきます。
↓その記事がこちら。(※著作権やリンクについて著者から削除等のご要望があれば対応します)
この記事を、私がフォローしている方が強い共感を持ってRTされていたので、以下のようなリプを付けました。
「ファンのお金でビジネスが成り立っている世界ですから、法的には権利がなくても文句くらい言ってもいいのではないかと思いますよ。私は「お客様は神様」とは思いませんが、「勝手に応援」っていうのは言いすぎでは。その理論だとアイドルビジネスはそもそも成り立ちませんからね。」
140字制限で書くとこんな内容になります。
リンク記事にまったく同意できないわけではなく、むしろ「ああそうだよね~」って共感できる部分も多々ありますので、そこは先に言っておきますね。
ただですね、アイドルや有名人に限った話じゃないんですが、一定のファン層に支えられて成り立っているビジネスってたくさんあるじゃないですか。
特にAKBグループはファンが特定のアイドル(いわゆる「推し」)に対してお金を注ぎ込みやすく、その結果が「推し」の人気のバロメーターになって活躍の場が増えるという楽しみがあるわけです。
るみなすは昔、全盛期を少し過ぎた頃のモーニング娘。を熱心に応援していた時期がありまして、当時の「推し」が知名度も人気もあるのにあまり良いポジションに立たせてもらえず(その代わり実力で目立ってましたが)、むしろ事務所の都合で「売り出したいメンバー」が露骨にプッシュされていることに強い不満を感じていました。
なので、この「AKB商法」っていうのは阿漕な側面もあると思いますが、ファンの投資に対して明確なインセンティブ(=「推し」のブレイクチャンス拡大)があるという一点において、とても良いシステムだと思うわけです。
好きなことにお金や時間などのコストを割くのは自由ですし、そのせいで仮に破産してもそれは「楽しさ」と引き換えにした自己責任なわけで、モーヲタ時代には実際にカード破産した奴も知っています。
るみなすは収入の範囲内で応援してましたが、あの時代は、あれはあれで楽しかったなぁと思います。むしろそれまでどこか偏屈で、羽目を外せない性格だった自分に「人生は今という一瞬を楽しんだ者勝ち!」っていう価値観を教えてくれて、キャラの濃い仲間もできて、コンサートに行くのに京都まで遠征旅行もして、一部の仲間とは今でもゆる~くつながっていたりして、いい思い出です。
で、ここからが本題。
「ファンは勝手に応援してるんだから文句を言う権利はない」という部分です。
アイドルみたいな人気商売の人って、やっぱりどこかで「応援してください、がんばります!」って言ってると思うんですよね。
そのアイドルに何でもいいけど価値があると思えば、お金を払ってくれるファンが付いて売り上げが立ち、諸経費やピンハネを除いた分はそのアイドルの懐に入るようになります。
至極当たり前のことですが、それを応援するかしないか、ファンになるからならないかは個々人の自由なわけです。応援しない自由もあるし、一時はファンになっても冷めてしまう自由だってあります。
人気商売にとってファンというのは必要な存在ではあるものの、それくらい水物なのでずっとアテにはできないんですよね。固定ファンを維持・拡大しつつ、ブレイクのためにはふわっとしたライトファンを大量に取り込む必要があるわけです。
また、売るべき商品が「その人自身」なので、有名になると私生活も監視されて不自由になってしまいますし、超過密スケジュールでがんじがらめになったりもしますので、それ以上のメリットがないとやってられませんよね。
そりゃ、時には「ファンは勝手に~」って言いたくなるかもしれない。
でも特に、若い女性アイドルのファンにそれを言っちゃあオシマイな部分、あるんじゃないかなぁ。
モーヲタやってた身として、ついでに言うと今回同様「推し」に突然結婚(どころか妊娠も)された経験をしている身として、文句の一つも言わないと気が済まないの、わかるんですよ。
今となってはただただ懐かしい思い出なのですが、当時はるみなすのモーヲタ仲間もみんな大ショックで、るみなすはショックで落ち込みました。ブチキレてそのまま音信不通になった奴もいましたし、2ちゃんねるも大荒れだったし、突発の残念飲み会では違うアイドルの名前が印字されたTシャツを着て、濁った眼をしてクダを巻いていた奴もいましたし、とにかく大変でした。これでまだまだ序の口レベルの騒動だと思います。
若い女性アイドルのファンって、人間模様がけっこう幅広いんですよね。職業も年齢層もバラバラだし、どこに住んでいようがコンサートやイベントに遠征する奴はいるし、金持ちも貧乏人もいるわけです。
「推し」に対する情熱のベクトルもみんな微妙に違うんですよ。ルックス、年齢、雰囲気、ダンスや歌のパフォーマンス、キャラクター、ポジショニング、セクシーさ、などなど求めるものがいろいろあるんです。
あとは・・・、綺麗事抜きにしますと、普通に生活しているとなかなか出会えないようなヤバイ奴も、そこそこの割合でいます。
アイドルをストーキングしてマンションの部屋を特定し、外観写真を撮って自慢げに見せてくる奴とか、電車内の吊り広告にアイドルが写っていると即座に盗っちゃう奴とか、アイドルに対する擬似恋愛感情をこじらせて、コンサート会場でそれを病的に語っている奴とか、色んな意味で人生終了してて「推し」だけが生きる希望になってる奴とか。
そういう人たちはもう、ファンに向いてるとか向いてないとか、そういう次元の問題ではなくなってるわけです。
アイドル商売ってこういう負の要素を少なからず内包していて、むしろそういうファン層のほうが大金をはたく傾向があるので、そういうファンに「お前らは勝手にやってるだけなんだから文句言う権利はない」って言ってしまうの、死者に鞭打つ行為ですよ。伍子胥の生まれ変わりかなんかでしょうか?
だって多分彼らも、今回の騒動で絶叫している人たちも、本当は心の底でそんなことわかってるんですから。わかりたくないだけで。
「ファン」という立場で、儚い幻想にお金を払うことを心に余裕を持って楽しめるのが一番いいと思いますし、アイドルに過剰に入れあげてしまって「裏切りだ」と騒ぐファンに対して物申したい気持ちってのもわかるんです。わかるんですが、その中には一般生活で出会うよりも割と高い確率で、幻想に「依存」しないと生きていくのが辛い人たちっているんですよ。
特にAKB商法の場合、総選挙でここぞとばかりに大枚をつっこむシステムを作り上げてしまっていて、その場で結婚発表されたらそりゃあ応援してた人はキレます。「推し」がこれからも継続的にアイドルとして活躍し、疑似恋愛という楽しみの場を拡大的に与えてくれることがファンにとってのインセンティブなわけですからね。
何百万使おうがそのアイドルは自分の所有物ではないのは自明の理なんですけど、今回の騒動を例えて言うなら「ベンチャー社長のプレゼンに惚れて将来性を感じ、大金を投資したら翌日計画倒産された」に近いんじゃないでしょうかね。
もっともアイドルファンの場合は債権者にはなり得ませんが、せめて文句くらい自由に言わせてあげようよ。
若い女性にはあまり共感できない部分だろうし、想像もなかなか難しいと思いますが、人間の本性の部分ってそれくらい弱いものなんで、女子会での愚痴レベルで収めて欲しかったなぁっていうのがるみなすの意見です。
特に今回の記事、若い女性のインフルエンサーたちに好意的にRTされてバズってしまったんで、尚更ね。
以上、元モーヲタのるみなすでした!
金儲けは悪なのか!?
こんばんは!
独立を目指すオッサンブロガーのるみなすです。
ここんとこブログ更新を怠ってしまいました。いささか自堕落でした。
時間、作らないといけないですね。
さて今日は、「お金」についてです。
実家の商売で見てきたこと
るみなすは独身のオッサンなんですが、正直に言いまして貯金も有価証券も不動産も何もない状態です。これはけっこう不安ですね。
幸いなことにまだ地元の両親は健在で、実家との関係も問題ないですが、かと言って実家も自転車操業で商売をしており、仮にるみなすが「起業したいから出資してくれ」なんて言っても「無い袖は振れぬ」って感じです。
子どもの頃からとても裕福とはいえない環境で育って、そのへんは身に沁みていますのでいいんですが、お金はないこと以外はそんなに不幸な家庭でもなかったし、苦心して学費を捻出してもらって、奨学金を取らずに大学まで行かせてもらえたのでそこは感謝しています。
父はいわゆる「団塊の世代」ですが、20代で会社を辞めてフラフラしていた時期に実家(るみなすの祖父母)の商売の状況を見て「これじゃ儲かるはずがない!」と危機感を覚えて家業を継いだという経歴があります。冗談抜きに、商売だけでは食べていけず、当時同居していた祖母の妹たちの月給が頼りだったそうです。父は必死で経済の知識を学びながら、優柔不断に陥りがちな祖父母を叱咤して店を切り盛りしていき、支店も出して、バブル期にはそれなりに売り上げもあったそうです。
るみなすも小学生の頃、夏休みに家族(というか親戚一同で)旅行に連れて行ってもらった記憶があり、今思えばあの頃は金回りがそこそこ良かったのでしょう。
ただ、バブルが弾けると商売も傾き始め、なけなしの貯蓄を運転資金に投入していき、祖母の浪費癖(と言っても絶対的な金額はささやかですが・・・)もあって、ジリジリと経営難になっていきました。そんな中で3号店もオープンさせたのですが、最初こそ順調だったものの3年目あたりから下がり目になってしまい、これも不良債権化します。
2012年、祖母の他界で固定客が大量に離れた本店が危機的状況となり、2014年秋に閉店。現在は2店舗で営業していますが、おそらく黒字は出ていないはずです。
そんなわけで「団塊の世代」としては全然稼げていない父ではありますが、逆に言えば、時代の荒波と逆風に晒されながらも40年以上商売を守っているのはすごいと思いますね。
ちなみにるみなすは幼少時から本店のバックヤードで遊ばされていましたし、小学4年生の時から、夏休みなどに「社会勉強」と「お手伝い」で接客を手伝ったりしていたんですが、何故か「お金を稼ぐのは大変だな~」と言う実感はあまりなかったです。
おそらく、ほぼ家族経営なので両親も祖父母(+祖母の妹たち)もお互いに言いたい放題だったことが大きいのでしょう。今思えば喧嘩や軋轢もあったし、嫁いできた身である母は家事労働も負担していて理不尽な苦労もしたようですが、不思議にるみなすの目には不幸には映らなかったんですよね。
こんな環境で育ったためか、とりあえず「お金を儲けること」がネガティブであるという思想はありません。
ただウチの場合は生活がかかっている側面が強く、おまけに経営者たる父が金銭欲に乏しく、「大儲けして店を大きくしよう」だとか「贅沢しよう」だとか、そういう発想はまるでなかったようです。「自分で監督できる範囲は3店舗まで」という理由で、出店依頼を断ったこともあります。でもとりあえずお金がないので、父は宝くじの類はしょっちゅう買ってくるのですが、決まって「何億円当たったら誰々にいくら配る」とか話し始めるので始末に負えません・・・。
目指していく道
さて、ここからは今、そして未来に向けての話です。
社畜・るみなすが独立するには、最低限生きていけるレベルの収入を得なくてはなりません。満員電車や不毛な封建的人間関係、無駄な残業から解放されるためにも、これは必須ですね。
かと言って、おいしい話っていうのはありません。少なくとも、今のるみなすに「濡れ手で粟」という儲け話を持ってくる人はいないでしょう。本当にボロ儲けできるなら拡散するはずないし、こんなオッサンに教えるメリットがないからです。
まずは一定の成果を収め、ある程度資金が貯まってくると、自然に「条件の良い取引」という形で儲け話が来る、というのは父から聞いた話です。まずはそこを目指したいですね。
ちなみに社畜のまま定年まで勤めても、るみなすの場合はほとんどメリットがありません。転職回数も多いし、出世コースからは除外されているし、たいしたメリットもない資格取得を要求され続けるし、ただただ苦痛なまま疲弊していくだけでしょう。肩書は正社員ですが、そもそも定年まで雇用が保証されているかも怪しいですし。
それでも、会社のために働くのか?
こういう書き方をすると「会社に搾取されているなぁ」っていう実感がひしひしと湧いてきますね。別にマルクス主義の信奉者ではないんですが、日本企業全体の内部留保は2016年で377兆円もあり(出典:毎日新聞)、うち現金資産が199兆円、海外投資額が16.8兆円だったそうです。
「運転資金として1.5ヶ月分にすぎない」という主張もあるようですが、ちょっと貯め込み過ぎじゃないでしょうかね。
お金を儲けるのは全然いいんですよ。ただ、その利益配分がおかしい。
多くの企業にとって、人口減少社会となった日本市場にもはや魅力はないのでしょう。それ故に海外投資に注力し、日本人が多数を占める従業員の給与は増やさない。営利企業としては間違っていない姿勢と言えます。
ですが、経営陣に問いたいのは「あなた方は何のためにお金儲けをするの?」ってことです。儲けたお金で何をするのか。世の中にどのような価値を提供していくのか。
一例ですが、今や堂々たる一部上場企業のサイバーエージェントは、アメブロなどで積み上げた収益を「AbemaTV」に大量投入しています。サービス開始からわずか1年余りで、1コンテンツ当たりの最高視聴数1420万回(2017年5月7日放送、『亀田興毅に勝ったら1000万円』)というとんでもない数字を叩き出し、既存のテレビ局を食っていますね。
企業の経営を存続させていくのは最優先事項でしょう。それは実感として理解できます。ですがそのために、会社に尽くした人間を切り捨てる「リストラ」は許容されるのでしょうか。「会社が倒産したらもっと多くの社員が路頭に迷う」と言いますが、「リストラしないで倒産させない」方法は、本当にないのでしょうか。
日産の経営危機を救ったとされるカルロス・ゴーン氏。2兆円もの有利子負債をわずか5年で返済したのは経営者としてすばらしい手腕ですが、3万5000人のリストラや下請け切り、その後も派遣社員の流動的な増減などで利益を上げ、彼の役員報酬は一時期10億円を超えていたそうです。
「黒字経営は正義」「社員も幸せになる」と言う論調もありますが、その結果幸せになった(居残ることができた)社員や経営陣を見て、リストラされた側は何を思うのでしょうか。
こうした話になると「国際競争力が~」って言う人が必ず出てきますが、
は?何言ってんの?日産はとっくにルノー傘下だよ?フランス資本だよ?
っていうのが正直な感想ですね。
日産ブランドを守りたいためにルノーに身売りして、その結果が大量リストラだったわけですから、別に倒産しても良かったんじゃないかな。それで本当に困るのは、日産ブランドで既得権益を得ていたほんの一握りの老害だけですからね。
昨今の話で言えば、どう見ても破綻しているのに不正会計を繰り返している東芝を国家ぐるみで守ろうとしているのも意味不明です。
あ、ウチの父は40年間、1度たりともリストラしてません。パートさんを雇っている期間は長いのですが、20年前に高齢による自主退職者が2名出ただけです。
だから儲からないんじゃないか、という話もなくはないですが、そういう姿を見て育っていると、「企業を守るということは、従業員の生活を守ることだ」とでも言いたげな父の背中が目に浮かびます。
ま、世の中探してもそんな社長はほとんどいないし、そこに勤めても(儲かっていないので)いい給料はもらえないですね。
行き着くところ、自分の足で立って、稼ぐしかないのかな、ってなっちゃいます。
お金を儲けることはいいことです。
それを独占するのが悪なのです。
そのへんの区別がつかなくて、「金儲けは悪」って思い込んでる人は多いですね。もちろん、悪事に手を染めてお金を奪う人もいますが、それは犯罪なので別物ですよ。
また話が長くなりましたね。
では、今日はこのへんで!
オッサンにも青春の日々があったんですよ
こんばんは!皆さん、今年のGWは満喫できましたでしょうか?
独立を目指すオッサンブロガーのるみなすです。
るみなすはまだ社畜の身分なので、ありがたいことに5連休という数少ないメリットにありつくことができました。そのうち1.5日ほどは精魂尽き果てて爆睡してましたが、残り3.5日はフル回転で、とっても充実したGWとなりました。
実はるみなす、学生時代は人形劇をやってまして、思いがけないきっかけから約20年ぶりに人形劇を上演する予定があります。その練習のため、青春の日々を過ごした故地へと行ってきました。
現地では60年以上の伝統を守り、連綿と受け継がれている部活の後輩たちと、かつて共に若き日々を過ごした先輩たちと一緒に声を張り上げ、汗を流して練習に精を出してきました。
夜はイベントの実行委員会に参加して学生たちと一緒に知恵を出し合い、その後は日付をまたいで未明まで酒を酌み交わし、交流を深めてきました。
その中で、新たな出会いと発見があったのは何よりの収穫でした。
出会いは、イベントとその実行委員会に初参加してくれた現役学生のSさん。彼は、友人と共に「貧困児童の支援」という目的でボランティア活動をしているとのことでした。主に食事の提供や学習指導をされていて、目下の悩みは後継者不足。主催者たちがみんな4年生で卒業を控えており、今後どのような形で活動を継続させていくかが焦点ということで、これについてはるみなすだけでなく、先輩も後輩も真剣に語り合いました。
肝腎なのは形に拘らず、活動の実態を残していくことだという点は衆目の一致するところで、ダイレクトな解決策とまでは行きませんでしたが、SNSで繋がって連絡を取りながら、提携できる部分を模索していく方向になったのは何よりでした。
またSさんは読書好きということで、最近集中的に本を読んでいるるみなすとも会話が弾みました。とりあえずこの前のブログに感想を書いた本『君の膵臓をたべたい』が手元にあって、Sさんも読みたかった本ということなのでお貸ししました。また、マンガも好きということでお互いに推薦するタイトルを交換するなど、楽しいひと時を過ごしました。彼とは今後とも、何らかの形で関われたらいいなぁと思っています。
発見はですね・・・、一生懸命に人形劇を練習している時間や、後輩たちと語り合っている時間の濃密さです。
学生時代のるみなすは間違いなくその現場の真っ只中にいて、あまりにも未熟者すぎて周囲と数え切れないほど軋轢を生み、激しく揉まれ、もがきながらも、必死で部活に没頭していました。
現在は当時よりもマシになったようですが、部活にかける時間も桁外れに多く、他の部活・サークルとは比較になりませんでしたね。部活関連の予定が1ヶ月まったく途切れないとかもありました。
(るみなすはさらにその合間、先輩や仲間たちと麻雀に明け暮れていたので、勉学にはまったく時間を割きませんでした・・・)
もちろん、楽しいこと、嬉しいこともあったのですが、正直に言いまして楽しいことばかりじゃなかった。つらいこと、苦しいこと、悲しいこともたくさんありました。
でも、あの数年間で培ったものは、間違いなく自分の中で息づいている。それが実感できました。
それらはすべて、形のないものです。
例えば、こんな半端者であるるみなすを未だに気にかけてくれて、「一緒に人形劇しよう」と誘ってくれる先輩や仲間たち。
例えば、「あの時あんなに頑張れたんだから、また頑張れる」というエネルギー。
例えば、「自分が大切にしたいものは、これなんだ」という想い。
るみなすは今、「自分がこれから、心からしたいことは何なのか?」という命題の回答に悩んでいるのですが、またひとつ新たな視点が足されてしまいました。
ただ少なくとも、積極的に人と関わっていく、という方針だけは動かないでしょう。
以前紹介した脚本家・木皿泉さんの名フレーズに、こんなものがあります。
「そうよ。あなたのせいよ。だってあなた、ひとりで生きているんじゃないもん。この世界にあなたは関わってるの。どうしようもなく関わってるのよ。」
(ドラマ『セクシーボイスアンドロボ』第1話より・真境名マキ)
この台詞はちょっと複雑なシチュエーションで、しかも突き放すようなニュアンスで放たれます。でもこれって、真理なんですよね。
ま、関わってしまっている以上、この世界で生きていくしかないわけでして。
一般的に生まれてから死ぬまでの時間を指して「人生」と言いますが、
るみなすは、この「人生」という言葉を、「人と生きる時間」と定義したいですね。
人と、世界と関わりながら、濃密な時間をどれだけ作っていけるか。
考えるだけで楽しくなってきました。
それでは、今日はこのへんで。
またね!
何故、オッサンはこうも涙もろいのか?
こんばんは! いや、おはようございます、かな?
独立を目指すオッサンブロガーのるみなすです。
るみなすは、独立を目指している割にはビジネスに対する意識とか、知識とかいろいろ欠けているので、毎日のように本を読んで吸収するように努めています。
先日も仕事帰りに東京駅付近にある某有名書店に行き、2時間ほどかけて店内を歩き回り、ドサドサと12冊も衝動買いしてしまいました。ジャンルはビジネス、金融、自然科学、新書などなど。しめて16,000円・・・今月の家計は赤字確定です。
さて、その中に1冊だけ、小説の文庫本があります。
タイトルは、『君の膵臓をたべたい』。
「ん?」と違和感を持ったそこのあなた、鋭い!
お察しの通り、今回もビジネスとあまり関係ない話になりますよー!うん、気にしたら負けだ!
この小説は2015年に発表されたもので、著者は住野よるさん。
ストーリーのプロローグは、こんな内容でした。
主人公の「僕」は、男子高校生。読書好きで、ずっと小説の世界に引きこもり、人との関わりを極力避けて生きてきた目立たない存在。友達もいないし、学校でもクラスメイトと会話をすることさえない。
そんな「僕」が、悪魔のいたずらとしか思えないような偶然から、自分と何もかも正反対で明朗快活、友達も多くクラスの人気者である女子・「山内桜良」の極秘日記・『共病文庫』を読んでしまい、彼女の秘密を知る。それは、彼女が重い膵臓病に侵され、余命1年であるということだった・・・。
実はるみなす、この本を買う前に本屋でパラパラと3ページくらいめくってみたのです。ぶっちゃけ、この手のストーリーってゴマンとあるじゃないですか。もし陳腐な内容だったら、読んだだけ時間の無駄だし。
キーワードも実にわかりやすい。高校生、男女、とくれば葛藤と成長と恋愛になるわけだし。少女の不治の病、生と死、っていうのは昔から万人を泣かせる必勝パターンだし。
でもね。ちょっと読み進めると、うまく説明できないけどなんか気になる!となってしまい、買ってしまいました。そして昨日、今日で夢中になって一気に読破したんですが・・・
やられた。
40歳のオッサンが、ポロポロと涙を流しちゃいました。
読み進めていくにつれて、「僕」と「彼女」とが織りなす日々の積み重ねが、風船に少しずつ水が溜まっていくように膨らんでいくんです。2人とも、その風船が遠からず割れてしまうことを知りたくないほどに知りながら・・・。そして、その風船を割るための弓矢の弦がキリキリと張り詰めていく音が、るみなすの心に聞こえてきました。
やがて、予期しない形で訪れるクライマックス・・・
本当はもっと書きたいのですが、ストーリーの内容についてはここまでにします。ネタバレになっちゃうからね。
よく、読書は自分の心との対話である、とか聞きますね。
至言だなぁ、としみじみ思います。
『君の膵臓をたべたい』を読んで、涙して、気づいたことがあります。
ああ、そっか、自分は泣くほど感動したかったんだ。
ってこと。そして多分、
涙を流すことでカタルシスを得たかった
のだと。
いろんな不安とか、ストレスとかでちょっと心が弱っていたのかもしれませんが、るみなすの心の原動力となるものは、感動だったようです。人は、衣食住が足りてしまえば、あとは感動がないと本気で動かないものですからね。
久しぶりに泣ける小説を読んだせいで、朝早く出かける予定があるのに神経が興奮して眠れなくなって、このブログを書きました。
心を揺さぶられるようなストーリーとの出会い、いいものですね。
そして願わくば、1つでも多くの感動がある人生を歩みたいものです。
皆さんにも、良き出会いが訪れますように。
またね!
ドラえもん誕生まで、あと95年!
こんばんは!
独立を目指すオッサンブロガーのるみなすです。
突然ですが、『ドラえもん』は好きですか?
説明不要の『ドラえもん』
日本人なら老若男女、誰もが知っている国民的マンガ『ドラえもん』。
日本のマンガ界の礎を築いた手塚治虫が「マンガの神様」なら、『ドラえもん』を生んだ藤子・F・不二雄は・・・何に例えたらいいのでしょうかね? るみなすにとってあまりにも偉大で、影響力が大きすぎて、ちょっと言葉が出てきません。
連載期間は1969年~1996年で、F先生(藤子・F・不二雄のこと、以下同じ)は62歳で亡くなる3日前まで執筆していたというから驚きです。
ドラえもんは22世紀(2112年9月3日)に造られたネコ型ロボット。決してタヌキ型ではありません。のび太の孫の孫であるセワシの家に購入され、やがてセワシの家が貧乏である元凶を作ったのび太の元に派遣されて、過去を変えることで貧乏から脱出させるという使命を帯びています。
TVアニメが長期に渡って放映され続けていますし、単行本も公式資料もたくさんありますので、これ以上の舞台設定の解説はそちらに譲ります。って言うか、多すぎて書き尽くせません。
夢を叶える、ひみつ道具
『ドラえもん』の王道パターンは、のび太がジャイアンとスネ夫にいじめられてドラえもんに泣きつき、数々のひみつ道具を出してもらって道具の力で解決しようとするが、最終的にうまくいかないオチがつく、というものですよね。
22世紀の科学力で作られたひみつ道具ですから、のび太の生きる20世紀の世界では当然ものすごいオーバーテクノロジーなわけです。連載期間を考えても、F先生の頭の中は一体どうなっていたんだ、と言いたくなります。
るみなすの少年時代に流れていたTVアニメのオープニング曲は、歌い出しが
「こんなこといいな できたらいいな あんな夢こんな夢いっぱいあるけど~♪」
でした。
『ドラえもん』連載当初の舞台設定は1970年代。そこから40年ほど経った21世紀の現在、夢だったはずのひみつ道具はいくつも現実となり、普及してきています。スマートフォンやバーチャルリアリティの原型となるようなひみつ道具もあります。現在進行形で研究開発が進んでいる分野のものもありますね。
ひみつ道具についてひとつひとつ語りだすと、それだけで百科事典が完成するくらいのボリュームになってしまうのでこのへんにしておきますが、
人生でたった1回だけ、ドラえもんのひみつ道具が使えるとしたら何がいいですか?
いいですか、何回でも使えるわけじゃないですよ。1回だけですよ?
すばらしい道具で、何をしたいのか
るみなすも脳が疲労骨折するくらい悩みましたが・・・
タイム電話にしました。
理由は、
・自分の置かれている時間や空間の座標を変えないので、不可逆な事態を回避できる。
・使ってもダメ人間にならない。
こんなところですね。
じゃあ、たった1回だけ使うとき、どうするのか。
仮に今すぐ使えと言われたら、るみなすは父方のばあちゃんに電話をかけます。
ばあちゃんは2012年に他界していますので、もう会うことはできません。1997年頃のばあちゃんに電話して、当時学生だった自分になりすまして、ただただ無駄話をしたいです。
そこから何かイノベーションが起こるわけでもない。世界を救うわけでもない。それでもいいから、ばあちゃんともう一度だけ話したい。
「ドラえも~~ん!!」
叫びたくなるのび太の気持ち、わかりますねぇ。
2112年まで、あと95年。
さすがにるみなすはその頃生きていないでしょうが、どんな未来になるのでしょうか。知りたいような、知りたくないような・・・。
では、今日はこのへんで。
充実したGWを!
「仕組み」を変えることと、創っていくこと
こんばんは!
独立を目指すオッサンブロガーのるみなすです。
へっぽこSEの現実
るみなすは今、都内某所でへっぽこシステムエンジニアとして働いています。
本来の所属会社では正社員という扱いなのですが、客先に派遣され、常駐という形でお客様に依頼される業務を日々こなしています。
その実態はお客様のお客様に対しての業務であり、しかも労働派遣契約上の指揮命令者が現場にいません。一応リーダーはいるものの裁量権は少なく、お客様のお客様が具体的な業務指示を出しています。世に言う『偽装請負』もしくは『二重派遣』ですよね。これ、「IT業界では常識」と言われていて、るみなすもこの形態で何年も働いてきています。
現場が働きやすいかどうかなんて、ほとんど運次第です。たくさんの現場を経験してきましたが、今の現場は業務遂行という点ではやりやすい方ですかね。まあそれでも、残業大嫌いなるみなすがほぼ毎日定時に帰り続けると睨まれますが。
毎月、月末になると勤務表を提出する会社は非常に多いと思います。もちろん、るみなすも提出しています。ただし、3つの勤務表提出しなければなりません。
1つめはお客様のお客様用。(毎日退勤時にブラウザで入力)
2つめはお客様(契約上の派遣先)用。(毎日退勤時にブラウザで入力)
3つめは所属元用。(毎月初日頃に前月分をExcel入力し、メールで提出)
さらに、所属元は3つめの勤務表のエビデンスとして、2つめの勤務表のスクリーンショットを出せと言ってきます。
要はるみなす1人に対して、マネジメントや労務管理をする人が3社分いるわけです。
だからフォーマットも入力方法もバラバラなものを、事務作業としてこなさなければならない。
1つに統一してシェアして欲しいと心から思うのですが、いわゆる大人の事情でダメなんでしょうね。ああ馬鹿らしい。
るみなす的「仕組み」論
でもね。偽装請負にせよ、そこから発生する3つの勤務表にせよ、そういう仕組みになっている職場にいるるみなすにも責任があると思うのです。嫌々ながらでも、自分で選択した結果が現在に反映されているのですからね。
(ただし、この仕組みを作った人間は利益を上げる経営者としてとても優秀で、同時に異次元レベルで鬼畜だとも思います)
論理的には、仕組みが嫌なら変えればいい。ぐうの音も出ない正論です。しかしこの仕組み、政官財が一体となって推し進めてきたものです。1人のオッサンでは非力すぎて、ちょっと太刀打ちできない。
アメリカで、ワーキング・プアの実態を研究するため、低賃金のアルバイトに従事してトレーラーに宿泊する生活を2年間続けた社会学者がいるそうです。彼女の名はバーバラ・エーレンライクさん。しかしどれだけ一生懸命に働いても、生活はまったく改善されなかった。彼女はその経験から「貧富の差は個々の能力だけではなく、置かれた環境によるところが大きい」という知見を得ています。
つまり、自分に不利な仕組みの中にいると感じたら、一刻も早くそこから抜け出す努力をしないとまずいんです。るみなすは今まさにその状態。ゆでガエルになる前に、鍋から飛び出さないと・・・。
すでに出来上がって、エンジン全開でぶん回されている「仕組み」を変えるのは難しいことです。今の「仕組み」を作り、回して利権を得ている側の人間は、死んでもそれを手放そうとしない。大多数の人たちをコントロールして、考えさせず、盲従させ、逆らわないようにしていきます。その不都合に気づき、指摘する人間に対しては、抱き込むか、追放するかのどちらかです。
「仕組み」革命!?
「仕組み」を変えるのが難しいのはわかった、じゃあどうするの?って声が聞こえてきますね。
歴史を紐解くと、大きく「仕組み」を変えるイベントの代表は「革命」です。革命って言うと、民衆が蜂起して時の権力者を打ち倒すイメージが強いですが、「産業革命」っていうのもあります。
近年ではインターネットの普及によって第3次産業革命が起こりました。近い将来にはAI技術の発展・普及による第4次産業革命が起こると言われています。
ホリエモンこと堀江貴文さんは、「AIの発展がもたらすものは、人間から仕事を奪うことではなく、仕事から解き放ってもっと自由に時間を使えるようにすることだ。未来は必ず良くなる」という旨のメッセージを発信し続けています。
るみなすも、そんな未来が来て欲しいです。
AIが普及すれば社会は激変するという予想は、いろんな識者が世界中で発表しています。その予想が当たる方に賭けるのならば、未来の「仕組み」を考えていくこと、創っていくことはできるかもしれない。
何も、「ジェバンニが一晩でやってくれました」的なことをするわけじゃないんです。変えやすい部分から少しずつ変えていく。その継続と積み重ねです。
もっと1人1人が大切にされ、生きやすい未来の「仕組み」を創る。そのために、今という時間を大切に使っていかなきゃ、ですね。
おっと、延々と書いていると時間がどんどん経過してしまいますね。
今回はここまでにします。
では、またね~!
木皿泉さんについて書いてみる
こんばんは!
独立を目指すオッサンブロガーのるみなすです。
今日はですね、大好きな脚本家である木皿泉さんについて語ります。
独立とかあんまり関係ない話になりますが、気にしない方向で。
ご存じの方もいらっしゃると思いますが、ご夫婦で共同執筆されていて、2人で「木皿泉」さんなのです。
るみなすが木皿泉さんを知ったのは、2003年に放映された日本テレビ系のドラマ・『すいか』でした。あ、もう14年も前なんですね。時の流れの速さを感じます。
『すいか』ってどんな作品?
小林聡美演じる34歳独身の信金OL・基子が、何の生きがいもなく流されるままに生活していたら、小泉今日子演じる同い年の同僚・馬場ちゃんが信金から3億円を横領して逃亡した事件に衝撃を受け、母と暮らす実家から飛び出して「ハピネス三茶」という不思議なアパートに転がり込む・・・という話です。
ハピネス三茶の住人はみんな個性的で、一筋縄ではいかないのですが、とても感受性が豊かで自分の視点をしっかり持っています。
ともさかりえ演じるエロ漫画家・絆ちゃん。彼女は一卵性双生児の姉を喪っていて、その傷が元で前に進めない状態。それでも生きていくために、売れないエロ漫画を描き続けます。
浅丘ルリ子演じる崎谷教授。学生時代から39年間ハピネス三茶に住み続け、入れ替わる住人たちの人生を見守っています。常に本質を追求するため、学生に対しても一切の妥協を許さない厳しい人物ですが、真摯に悩んで心から涙する人にはとても優しく接します。
市川実日子演じるハピネス三茶の管理人・ゆかちゃん。ハピネス三茶はまかない付きで、ゆかちゃんの料理をみんなで一緒に食べます。20歳で一番年下なのですが、一番のしっかり者かつ常識人です。
これらの住人に加え、崎谷教授の元教え子である高橋克実とか、絆ちゃんに想いを寄せるヘタレ青年・金子貴俊とか、基子の母・白石加代子とか、3億円横領犯である馬場ちゃんを追いかける女刑事・片桐はいりとか、近所のバー「泥舟」の女マスター・もたいまさこも登場します。
まず、るみなすにとってはキャストが素敵すぎました。小林聡美は『やっぱり猫が好き』時代から好きだし、ともさかりえは部屋にポスター貼ってたくらい大好きだし、浅丘ルリ子は『男はつらいよ』シリーズのリリーさんの印象があって素敵な女優さんだと思っていたし、キョンキョンも好きなアイドルだったし。市川実日子はこの作品で知ったのですが、自然体で違和感のないお芝居がとっても良かったし。
んで、肝心のストーリーですが、テーマは「温かさ」と「再生」でしょうかね。
基子さんと絆ちゃんの心の傷にスポットライトを当てて、2人がどんな風に悩み、考え、成長していくかの過程が、一場面ごとに繊細に、丁寧に描かれていきます。
そして木皿泉さんを語る上で欠かせないのが、一瞬で心に刺さってくる数々の名フレーズです。
基子「あたしみたいなもんも、いていいんですかね?」
教授「いてよし!」
とか。
基子「君が絆さんにあげたのは数字よ。6万8000円っていう数字」
(知り合ったばかりの絆ちゃんにアクセサリーを贈ろうとして、突き返された響一(金子貴俊)に対して)
とか。
刑事「もしかしたら、あなたの持っているものはまだこの世にないのかも知れないし。」
とか。
馬場ちゃん「そういう大事なもの、たったの3億円で手放しちゃったんだよね」
とか。
絆「やめなって! 人は刺すもんじゃないの。本当は抱きしめたいんでしょ。だったら抱きしめんの。こんなふうにしか人と関われないなんて、寂しすぎるよ」
(思い詰めて、片想いの女の子をナイフで刺そうとしていた高校生に対して)
とか。
毎回、色んな場面に名台詞があって、もう拾いきれません。
るみなすは本放送当時はこのドラマを知らなくて、2年後くらいにレンタルDVDを借りて観たんですが、何度となく泣きました。何回もリピート再生しました。その後も、心が弱ったりするとまた借りて、癒やされました。
データを見ると視聴率は振るわなかったみたいですが、『すいか』にハマってしまった身として思うことはただ一つ。
誰がなんと言おうと、いいものはいいんです。
逆説的に言えば、多くの人が支持しているからと言って、必ずしもそれが良いとか、正しいとか、そんなことはあり得ないんです。
(もちろん、だから少数派が正しいとか言うつもりもありません。)
よく、「だってあの人がそう言っているから」とか、「新聞に書いてあったから」とかで自分の行動を決める人がいますが、それはただの思考停止です。るみなすに言わせれば、もはやそれは人類であることを放棄しているに等しいです。
もう一つ言わせてもらえば、そうやって思考停止している人ほど、自身の行動について責任を負おうとしません。誰かの意見に引きずられたのだとしても、人は行動した時点で自己選択しているんです。選択した以上、責任は自分で負わなければなりません。
例えば10進法では、1+1=2ですよね。国民投票で過半数が1+1=5って投票したら、そうなりますか?
コペルニクスが提唱した地動説を支持したことが「聖書の教えに反する」とされ、宗教裁判を受けたガリレオ・ガリレイは、有罪となって地動説を放棄する宣誓文を読まされましたが、その直後に「それでも地球は回っている」とつぶやいた、と言われています。教会が否定したら、地球は止まってしまうんですか?
多数派の意見なんてものは、いつの時代もそれくらい当てにならないんです。
なんか話が逸れてしまっているようですが、『すいか』の中で語られている世界観と矛盾する内容じゃないんですよ。
何気ない日常の風景の中で、極めて本質的なところを突いてくる。
これが木皿泉さんの得意技です。
他にも『セクシーボイスアンドロボ』とか、『野ブタ。をプロデュース』とか、『昨夜のカレー、明日のパン』とか、紹介したい作品がたくさんありますが、それはまた別の日に。
それでは、よい週末を!